私はアートになりたい。 アートとは、完璧なカモフラージュのことかもしれない。 「パーフェクト・カモフラージュ展」では、ワタリウム美術館コレクションよりアンディ・ウォーホルを中心に11人と、ゲストアーティストにさわひらき、野口里佳、杉戸洋を交え、「日常にカモフラージュする」「自然にカモフラージュする」「記憶にカモフラージュする」「空間にカモフラージュする」の4つの章に分け、約80点の作品を展示します。 「僕は機械になりたい。機械になりたいから、こんな絵の描き方をするんだ」 アンディ・ウォーホル 1963年11月「ARTnews」誌より。1960年以降、ウォーホルは、シルクスクリーンを多用した作品を制作。同じ版を利用し、意図的にプリントをずらしたり、インクをはみ出させたりすることで、独自のイメージを生んだ。 「植物を超えるものは植物と一体である」 ロイス・ワインバーガー 1997年「ドクメンタⅩ」 にて制作した作品のタイトル。ワインバーガーは、カッセル中央駅の古い線路の除草剤を取り除き、荒地植物を植え付けて庭に変えた。ドイツの土に根付いていく植物を、当時増加していた移民に例えている。 カモフラージュとは、自身の存在を隠し、周囲に溶け込むこと。 置かれた状況が、私たちを生み出し、そしてまたあらたな状況がつくられる。 歴史とはその繰り返し。 カモフラージュとは、生存本能である。雑踏に、自然に、一日中、世界中で、たくさんのコト、モノ、ココロで溢れそうなとき、自分の身を隠そうと、私たちは日常の中にカモフラージュしていく。 何にカモフラージュするかは、あなた次第。 「物になるということ」西田幾多郎 西田幾多郎 「科学というものはね、僕は物に格(いた)らなければいかんのだと思う。… この人間というものと離れて、物そのものになれればなれるほどいいということだと思う。…離れるということは、自分の主観と離れるんだ。科学と離れるのじゃない。…」 鈴木大拙 「西洋流の行き方でやりゃ、離れるということは別々にしてしまうということだ。 この物の中へ入るっては言わんわな。 物の中へ入るということは東洋風だろう。」 西田幾多郎 「 そういう考え方はないと思うんだね、西洋には。 物になるっていうこと。」 1941年2月28日 西田幾多郎、鈴木大拙、山本良吉 鼎談レコード より 所蔵:石川県西田幾多郎記念哲学館 * 本展にて「西田幾多郎、鈴木大拙、山本良吉 鼎談レコード」(所蔵:石川県西田幾多郎記念哲学館)より「物になるということ」音声をお聞きいただけます。