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世界で最初の「芸術家」- どこかの村のレオナルド -

芸術家は、最初からいたのか。

絵を描く人はいた。像を彫る人もいた。建物を作る人も、器を作る人も、壁を飾る人もいた。

しかし、それはそのまま、私たちがいま言う意味での「芸術家」だったのだろうか。

ここで少し乱暴なことを言う。

世界で最初の芸術家は、レオナルド・ダ・ヴィンチである。もちろん、これは史実としての最初ではない。

Leonardo_da_Vinci_-_presumed_self-portrait_-_WGA12798.jpg
Leonardo da Vinci - presumed self-portrait

レオナルド以前にも、すぐれた制作者はいた。名を残した画家も、彫刻家も、建築家もいた。古代にも中世にも、驚くべき作品はある。

だから、厳密に言えば、レオナルドが最初であるはずがない。

それでも、あえてそう呼んでみる価値がある。

美術史を語るとき、どこかに紀元元年を置かないと、話は始めにくい。

その紀元元年として、レオナルドはかなり都合がよい。いや、都合がよすぎる。

「作る人」と「芸術家」は同じではない

作る人と芸術家は、同じではない。

作る人は、依頼されたものを作る。教会のために描き、王のために作り、共同体のために飾り、儀式のために整え、生活のために使えるものを作る。

そこでは、作品は何かに仕えている。神に仕え、政治に仕え、身分に仕え、秩序に仕え、生活に仕える。

もちろん、それが悪いわけではない。

むしろ、美術の多くはそこから始まっている。美術は、最初から自由な個人表現として空に浮いていたのではない。信仰、権力、儀礼、都市、共同体、実利。そういうものの中で作られてきた。

そもそも art という語も、ラテン語の ars、つまり技術やわざにさかのぼる。

美しいものを勝手に作ることではなく、何かを成立させるための技術である。

そのとき、作品に求められる中心は、何を正しく伝えるかである。

教義を伝え、権威を示し、物語を読ませ、身分を見せ、祈りの場を整える。

ここでは、作者の個人的な癖や逸脱は、必ずしも歓迎されない。

むしろ、余計なものになりうる。

Logic だけで足りていた時代

作品には Logic がある。何を表すのか、何のために置かれるのか、誰に向けられているのか、どう読まれるべきなのか。

宗教画であれば、聖書の場面や教義がある。肖像画であれば、身分や権威がある。建築であれば、機能と秩序がある。

それらを正しく伝えることは、強い価値だった。

そこでは、作者は透明である方がよいこともある。

透明な作者。よい職人。正しく作る人。必要なものを、必要な形で、必要な場所へ置く人。

それは立派な仕事である。

ただ、そこではまだ、作品を見る理由が「その人が作ったから」にはなりにくい。

大事なのは、神であり、王であり、都市であり、物語であり、注文であり、機能である。

作者は必要である。しかし、作品の中心ではない。

レオナルドは観察しすぎた

レオナルドは、観察しすぎた。ここが厄介である。

宗教画を描くために、そこまで人体を見る必要があっただろうか。

そこまで光を見る必要があっただろうか。

そこまで表情を見る必要があっただろうか。

そこまで水の流れ、植物、岩、機械、鳥、筋肉、骨、手の動き、顔のしわを見る必要があっただろうか。

たぶん、必要はなかった。

少なくとも、教義を伝えるためだけなら、そこまで過剰に見る必要はない。

しかし、レオナルドは見てしまう。見たものを描き、描くことで考え、考えるためにまた見る。

この循環が、宗教的な Logic から少しはみ出している。

レオナルドの絵は、ただ聖書の場面を説明するだけでは済まない。人物の身体があり、視線があり、空気があり、光があり、岩があり、水があり、世界をどう見たかが画面に残る。

作品が、教義や注文の器であるだけではなくなる。

そこに、レオナルドの見すぎが混ざる。

ノイズが価値になる

本来、ノイズは余計なものである。

目的から見ればいらないものであり、説明を邪魔するものであり、正しい形式からはみ出すものである。

だが、美術史のどこかで、そのノイズが価値になる。

作者の癖、観察しすぎ、未完成、執着、迷い、実用から外れた探究、注文の目的を超えてしまう過剰。

そういうものが、作品を見る理由になる。

ここで、芸術家が生まれる。

芸術家とは、ただ上手に作る人ではなく、その人が作ったこと自体が作品を見る理由になる人である。

誰が作ってもよいのではない。この人が世界をどう見たのか。この人が何を余計に見てしまったのか。この人のノイズが、なぜ消えずに画面へ残ったのか。

そこが見られるようになったとき、職人の仕事は、芸術家の仕事へずれる。