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5ドルの絵は、ポロックなのか - 値段はクオリティだけでは決まらない -

5ドルで買われた絵がある。

カリフォルニアの中古品店で、元トラック運転手の Teri Horton が買った抽象画である。買ったとき、彼女は Jackson Pollock を知らなかったとされる。絵は友人への贈り物にするつもりだったが、大きすぎた。売りに出したところ、周囲から、これはポロックではないかと言われる。

ジャクソン・ポロック(Wikipedia)

それだけなら、よくある話である。

古い家の押し入れから出てきた絵。骨董市で買った皿。祖父の家にあった掛軸。誰かが言う。もしかしたら、これは名のある作家のものではないか。

その瞬間、ものは変わらない。

絵の具の位置は同じである。キャンバスの大きさも同じである。昨日まで壁に立てかけられていた絵が、急に別の絵になるわけではない。

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次元の狭間に飲み込まれる抽象画(Adobe Firefly)

けれど、まわりの世界が変わる。

「似ている」と「である」は違う

この絵の厄介さは、5ドルで買われたことにあるのではない。

ポロックらしく見えることにも、まだない。

厄介なのは、ポロックかもしれないと言われた瞬間から、その絵が複数の値段を同時に持ちはじめることである。

中古品店では5ドルだった。持ち主にとっては、人生を変えるかもしれない絵になった。買い手候補にとっては賭けの対象になり、専門家にとっては疑わしい絵になり、美術市場にとっては扱いにくい絵になった。同じ絵である。違うのは、その絵を受け取る場所である。

ここで大事なのは、「ポロックに似ている」と「ポロックである」は違う、ということだ。

似ているものは、いくらでもある。ポロックのようなドリップ、ポロックのような抽象、ポロックのような勢い。けれど市場で値段を持つのは、似ていることではない。似ていることが、来歴、素材、鑑定、専門家の判断、売買の場を通って、ポロックであると受け取られることである。

5ドルの絵は、ポロックかもしれないと言われた瞬間に高くなるのではない。

ポロックであると受け取られるまで、価値は宙吊りになる。

値段は、画面だけを見て決まらない

値段はクオリティだけでは決まらない。

この言い方は、少し誤解されやすい。クオリティがどうでもいい、という意味ではない。画面が弱ければ、名前があっても疑われる。素材が合わなければ、どれほど似ていても止まる。ポロックらしさをまったく持たないものに、ポロックの名前は乗りにくい。

しかし、画面がよければ価格が自動的に上がるわけでもない。

作品の値段には、画面の外側が入り込む。

誰が作ったのか。いつ作られたのか。どこから来たのか。誰が持っていたのか。誰が本物だと言ったのか。誰がそれを買えると言ったのか。誰が、それをさらに売れると思ったのか。

美術の価格は、作品そのものの美しさに、交換の条件が重なったところで立ち上がる。

ここが、生活の中の「好き」と、市場の「価値が高い」がずれる場所である。

ポロックでなくても、その絵を好きになることはできる。家に飾ることもできる。毎日見て、気分が変わることもある。

しかし、ポロックであると承認されると、絵は別の顔を持つ。

それは、飾る絵であると同時に、資産になり、証明書になり、ニュースになり、オークションの可能性になる。

絵の具は変わらない。変わるのは、名前と鑑定と、それを受け取る人たちの反応である。