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南惣美術館 「南惣(なんそう)」はかつての奧能登大野村の天領庄屋でした。 歴代当主が惣右衛門、または宗右衛門と名乗ったことから南惣と呼ばれてきました。 南惣家は、鎌倉期以前より今日まで続いています。 南惣は、地主としてアテの木(能登ヒバ)を産出する山林を所有していましたので、徳川幕府の天領として、地の利を得ることが出来ました。 南惣の田畑、山林は、米、材木、木炭を多く産し、山林から出る間伐材は燃料として、製塩や製茶、養蚕も手掛けてきました。 南惣はそれらの産物を、天然の良港である曽々木、名舟、輪島の港から北前船に積んで商い、越中越後の米、会津蝋、小麦などを商っていました。
