この発信拠点について
旧中込学校は明治8年(1875年)に完成し、国内の学校建築のうち現存する最古級の擬洋風建築物で、重要文化財に指定されています。 建築設計したのは、地元出身でアメリカに渡り建築学を研究した市川代治郎氏で、外部窓・内部間仕切りなどの一部に当初と変わった点もありますが、日本人の手による明治初期木造洋風建築の様式を知る重要な建物になっています。 中央の八角塔は、天井から太鼓を吊るして時を告げ、村人たちはこの太鼓の音で正午や10時、3時のお茶の時間を知り、いつしか「太鼓楼」と呼ぶようになったほか、窓に当時は珍しいガラスを使用していたことから「ギヤマン学校」ともよばれ、開校当時は見学する人たちが連日あとを絶たなかったといわれています。
